2019年5/20(金)熊本大学哲学対話サークル・ダイアログ「遊びの本質はなにか」について考える
本サークルは熊本大学・苫野ゼミ https://researchmap.jp/ittokutomano (researchmap研究業績データベース・研究者プロフィールのリンク) で 哲学のやり方、物事の意味や価値の本質にせまる『本質観取』の手法 を知り、感銘を受けたメンバーで創立しました。高校生から社会人まで、哲学者がいなくても自分たちでファシリテートし哲学・哲学対話を行う方法を模索しています。
これまで
第一回「居心地がよい」とは?
第二回「ださい」とは?
第三回「愛される」とは?
第四回「良いお金の使い方とは?」
第五回「焦りとは」
第六回「不安とは」
第七回「夢とは」
など、様々な議題について話し合ってきました。
本日は「遊びとは何か」に関する本質観取をしましたので、遊びの研究の一例として紹介させていただきます。
1.事例を出し合う
まずは『本質観取』の手法にのっとり、集まったメンバーで「これは遊びだよなぁ、こんな遊びをしたな。」という事例・体験を挙げていきます。
【事例】
・どこまで自分ができるか試みる
・よりよい成長と関係する気がする
・遊びを通じてなにか得ている気がする
・秘密基地をつくったことがある
・発見、探求が遊びだと思う
・非日常
・ごっこ遊びは、非日常の代表例じゃないか
・女遊び、男遊びってどうなんだろう?
・女遊び、男遊びにもワクワク感があると思う
・未知生がないとワクワクしない
・新しいことを知ること
・みんなに面白がってもらうのも遊び
・縛られない、自由意志が大事 ・人の目を気にしない
・火遊び ・いたずら ・レース ・エクスタシー(この言葉はギリシャ語が由来らしい)
・刹那性があると思う ・ギリギリ感、一過性(けっして日常性に回収されない)
2.共通項を見出す
小1時間ほど事例を出し合っていると「〜感、〜性、〜的だよね」と抽象的な言葉に置き換え「確かにね」と合意が得られることがでてきます。そうしたワードを書き出します。
また、「どうすれば良い遊びなんだろうか、パチンコはどうなのだろうか。依存性があるんじゃないか。」など、問題意識についても話し合いました。
3.言葉を編み/紡ぎあげる
今回、話し合っていたメンバー全員(20人ほど)が納得した遊びとは
「主体的な非日常への没入」であり、「それ自体が目的であること、ワクワク感、未知生」を欠いては遊びとはいえない。類型に「破壊的な遊び」「感覚的な遊び」「探究的な遊び」がみられる、ということです。
ロジェ・カイヨワの分類 ( .referenceリンク) とはまた少し異なりますね。
今回の哲学対話で前々からの研究よりも進歩した点は、読書が遊びかどうか、ランニングや、バンド活動が遊びであるかどうか、などがしっかりと分類でき、共通了解を得られた点です。
今回の本質観取で得た定義は「非日常」ですので、もしも、日常に組み込まれ習慣的に読書やランニング、バンド活動を行なっている場合は遊びとはいえず趣味と判断した方が正しいです。
また、パチンコ・過ぎたギャンブル、放蕩、アルコールなど自分でやめ時を決められない程度になると、主体的ではないからそもそも遊びではなく依存だと判断することになりました。
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